はじめに
本記事の目的
本記事はAWSでのテナント管理とマルチテナントアーキテクチャを分かりやすく解説することを目的としています。専門用語をできるだけ抑え、具体例を交えて説明します。
対象読者
AWSでSaaSや複数顧客を扱う設計に携わるエンジニアや、導入を検討している技術担当者向けです。初めて学ぶ方でも理解しやすいように配慮しています。
なぜ重要か
テナント管理は、顧客データの分離や性能、運用コストに直結します。例えば複数社が同じサービスを使うとき、データの隔離方法でセキュリティや拡張性が変わります。
本記事で学べること
1章では基本概念、2章以降で実装パターン、ルーティング戦略、サービス別ユースケース、設計のポイントまで順に解説します。
読み進め方
まず第2章でテナントの定義を確認し、実装パターンやルーティングに進むと理解しやすくなります。
テナントとは何か? – クラウド時代の基礎用語
はじめに
「テナント」は、ITやクラウドでサービスを使う『利用者のまとまり』を指します。建物の各部屋に例えると分かりやすく、共用部分は共有しつつ個々の部屋(データや設定)は分かれているイメージです。
テナントのイメージと役割
- 個人やチーム、会社などが1つのテナントになります。
- テナントごとにデータ、設定、アクセス権が管理されます。
分離のレベル(わかりやすく)
- 完全分離:各テナントが独立した環境(例:専用サーバ)
- 共有分離:同じ仕組みを使いデータや設定で区別(例:1つのアプリで複数企業が利用)
識別と管理に使うもの
- テナントIDや組織アカウントで利用者を特定します。
- 認証・認可、課金、ログ集約などでテナント単位の仕組みが重要です。
実際の例
- メールサービスのアカウント、Slackのワークスペース、企業向けSaaSでの顧客単位。
なぜ重要か
テナント設計はセキュリティ、運用コスト、拡張性に直結します。クラウドやSaaSを設計・運用する際は、まずテナントをどう定義し管理するかを決めることが出発点です。
マルチテナントとシングルテナントの違い
概要
マルチテナントは1つのアプリやインフラを複数の顧客が共有しつつ、データや設定は分離する方式です。コストや運用の効率が高く、多くのSaaSで採用されています。シングルテナントは顧客ごとに専用環境を用意し、専有リソースや細かいカスタマイズが必要な場面で選ばれます。
主な違い(具体例で説明)
- コスト:マルチテナントはサーバや保守を共有するため低コストです。たとえば、メール配信サービスで多数の企業が同じシステムを使う場合に有利です。シングルテナントは各社専用のためコストが高くなります。
- カスタマイズ:シングルテナントは深い変更や特定のミドルウェア導入が容易です。銀行や医療の基幹系でよく採用されます。
- 隔離(セキュリティ):シングルテナントは物理的に分離できるため隔離性が高いです。マルチでも設計次第で十分な隔離は可能です。
データ分離の方法(代表例)
1) 共有DB+tenant_id:最もコスト効率が良い。スキーマ変更は一度で済みます。2) スキーマごと:論理的分離が強く、バックアップ単位がやや細かい。3) DBごと:最も隔離性が高いが運用負荷とコストが増えます。
選び方のポイント
短期的に多くの顧客を低コストで獲得したいならマルチテナントを検討します。高度なセキュリティや専用性能、個別の法規対応が必要ならシングルテナントが向きます。将来的な移行や運用負荷も評価して決めてください。
AWSにおけるマルチテナントSaaSの実装パターン
導入
AWSでは複数の実装パターンがあり、要件(隔離度、コスト、運用性)に応じて選びます。ここでは代表的な選択肢と具体的な実装例を説明します。
分離の粒度(パターン)
- 共用リソース(テナント識別子で分離): 単一アプリ+単一DB。DynamoDBならpartition keyにtenantIdを入れます。コスト効率が高いです。
- スキーマ/DBごと分離: RDSでスキーマ単位やDB単位に分けます。データ隔離が強まり、復旧や移行が楽になります。
- ネットワーク/アカウント分離: 高いセキュリティ要求ならVPCやAWSアカウント単位で分離します。運用コストは増えます。
フロント(API層)の実装
API Gatewayでリクエスト受け、JWTやカスタムヘッダでtenantIdを取得します。Lambdaオーソライザーで認証・認可とスロットリング(Usage PlansやAPIキー)を実施します。ALBはHost/Pathベースでテナント別サービスにルーティングできます。
バックエンドとサービス発見
ECS/FargateやLambdaを使い、Cloud Mapでサービス登録・解決を行います。テナント専用サービスを作る場合はサービス名にtenantIdを含めて管理します。共有サービスならリクエスト内でtenantIdを扱います。
データの配慮
DynamoDBはスケールしやすく、tenantIdパーティションが基本です。RDSはスキーマ分離で運用性を改善します。暗号化やアクセス制御は必ず実施します。
運用・監視・コスト
CloudWatchのカスタムメトリクスやログにtenantIdを含め、テナント別に可視化します。隔離を強めるほどコストと運用負荷が上がる点に注意してください。しかし、要件を満たすことを優先して選定します。
AWSにおけるテナントルーティング戦略
概要
SaaSでは、どのリクエストをどのテナントへ結びつけるかが重要です。ここでは実際に使う識別方法と、AWSでの実装要素、注意点をわかりやすく説明します。
テナント特定の主な方法
- サブドメイン(tenantA.example.com): DNSと組み合わせて明確に分離できます。証明書や大量のサブドメイン管理が課題です。
- パス(example.com/t/{tenant}): 単一ドメインで簡単に導入できますが、認可や cookie の扱いに注意が必要です。
- リクエストヘッダー(X-Tenant-ID): サービス間通信で使いやすいですが、ブラウザからの改ざんを防ぐ仕組みが必要です。
- IDトークン(JWTのclaim): 認証基盤と組み合わせて安全にテナント情報を伝達できます。推奨される方法です。
AWSでの実装要素(例)
- API Gateway: カスタムドメインやベースパスでのルーティング、Lambdaオーソライザーでのテナント検証を行います。
- CloudFront + Lambda@Edge: エッジでサブドメインやパスを書き換えて高速に振り分けます。
- Application Load Balancer: ホスト/パスベースのルーティングでマイクロサービスへ誘導します。
- 認証基盤(Cognito / OIDC): JWTにテナント情報を含め、信頼できる方法でテナントを特定します。Lambdaで検証・コンテキスト注入を行います。
設計上の注意点
- セキュリティ: テナント境界を必ず検証し、権限チェックを行ってください。
- 運用性: 証明書やドメイン追加を自動化すると展開が楽になります。
- 性能と拡張性: ルーティング処理をボトルネックにしないこと。CloudFrontやキャッシュを活用してください。
実践的なおすすめ
パブリック向けSaaSならサブドメイン+認証基盤(JWT)+API GatewayのLambdaオーソライザーの組み合わせがバランス良いです。内部向けではヘッダー方式を簡単に使えます。
AWSサービス別のテナント管理ユースケース(例:OpenSearch)
概要
Amazon OpenSearch Serviceでは、テナントごとに検索用のインデックスやアクセス制御を分けて、安全に全文検索やベクトル検索を提供できます。RAG(生成AIの検索補助)、FAQ検索、ログの異常検知など、多様なSaaSユースケースに適します。
テナント分離の主なパターン
- インデックス分離:テナントごとにインデックスを作成します。構成が単純で運用しやすい反面、インデックス数が増えると管理とコストが増えます。
- クラスター分離:重要顧客は専用クラスターに配置します。性能とセキュリティが高まりますがコストが上がります。
- ドキュメントレベル分離:1つのインデックス内でドキュメントにテナントIDを付与し、検索時にフィルタします。インデックス数を抑えられますが、アクセス制御の実装に注意が必要です。
アクセス制御とセキュリティ
- IAMとリソースポリシーでクラスター/インデックス単位のアクセス制御を行います。
- Fine-grained access control(ドキュメント/フィールドレベルの制御)を使うと、同一インデックス内でもテナントごとの可視性を確保できます。
- VPCエンドポイントや暗号化(at-rest、in-transit)を併用して通信と保存を保護します。
ユースケース別の実装例
- RAG(ベクトル検索):専用のベクトルインデックスをテナントごとに用意するか、ドキュメントにベクトルを持たせてスコアリングします。レスポンス性能を重視し、近似検索ライブラリを活用します。
- FAQ検索:軽量なインデックスで高速な全文検索を提供します。テンプレート化して新規テナントのオンボーディングを自動化すると便利です。
- ログの異常検知:時系列インデックスを使い、ILM(Index Lifecycle Management)で古いデータを削除・圧縮します。アラートはOpenSearch DashboardsやCloudWatchで統合します。
運用・コスト管理のポイント
- シャード設計とインデックスの寿命を設計してコストを抑えます。
- スナップショットでバックアップを取り、復元手順を定義します。
- モニタリング(リソース使用率、検索レイテンシ)を常時監視し、スケール計画を立てます。
実装時の注意点
- テナント数やデータ量に応じて分離戦略を選んでください。小規模ならインデックス分離、大量テナントならドキュメントレベルを検討します。
- マッピングとアナライザを統一して検索品質を保ちます。
- バックアップとテスト復元を定期的に実施してください。
まとめ:AWSテナント設計のポイント
要点の整理
マルチテナント設計は、コスト削減、運用効率、スケーラビリティといったメリットをもたらします。一方で、セキュリティ分離、データ保護、性能管理には慎重な設計が必要です。具体例としては、顧客ごとのデータアクセス制御や検索負荷分散などが挙げられます。
設計の基本方針
- 分離レベルを明確にする(論理分離か物理分離か)。
- IDとアクセス管理を厳格にする(IAM、Cognitoなど)。
- データ暗号化と鍵管理(KMS)を導入する。
- モニタリングとアラートで性能劣化を早期検知する(CloudWatch)。
AWSの活用例
- S3やRDSで顧客ごとにバケット/スキーマ分け。LambdaやAPI Gatewayでルーティング。KMSで鍵を分離。CloudWatchでメトリクスを収集。
運用のポイント
- タグやコスト配分で課金と運用を明確にする。バックアップ・復旧方針を定める。テスト環境で負荷試験を行う。
最終チェックリスト
- セキュリティ要件は満たしているか
- パフォーマンス保証のためのSLAは設定されているか
- 運用自動化と監視は整備されているか
総じて、AWSは多様なサービスで柔軟なテナント設計を支援します。要件に合わせて分離レベルや運用体制を決め、段階的に導入・検証していくことをお勧めします。