はじめに
本書の目的
本書は、AWSが提唱するクラウド移行の7つの手法(7つのR)をわかりやすく解説することを目的としています。各手法の特徴や使いどころ、移行プロセスや選択基準まで順を追って説明します。これにより、現状のシステムに最も適した移行戦略を選べるようにします。
読者想定
クラウド移行の検討を始めたシステム担当者、意思決定者、SIerの方を主な想定読者としています。専門用語は最小限にし、具体例を用いて理解を助けます。
本書の構成と読み方
移行手法は大きく3つのグループに分けて紹介します。各章で1つずつ手法を詳しく解説し、移行の進め方や判断ポイントも示します。まずは目次を確認し、関心のある手法から読み進めると理解しやすいです。章末では比較や選び方のヒントも扱いますので、実際の計画作成に役立ててください。
AWS 7つのRとは
概要
AWSが提唱する「7つのR」は、クラウドへ移行する際の代表的な選択肢を整理した考え方です。元はGartnerの「5つのR」を基に、AWSが実務で使いやすいように拡張しました。企業はシステムごとに最適な手法を選び、無駄なコストやリスクを減らします。
7つのRの一覧と意味
- Relocate(リロケート): システムをそのまま別のデータセンターやクラウドへ移す手法。短期間で移行したいときに使います。例:データセンター閉鎖に伴う移転。
- Rehost(リホスト): 現在のサーバーをほぼそのままクラウド上の仮想マシンに移す方法。手間が少なく最初の移行でよく選ばれます。
- Replatform(リプラットフォーム): アプリの一部をクラウド向けに最適化します。例えばデータベースをマネージドサービスに切り替えるなど、改善効果を期待できます。
- Repurchase(リパーチェス): 現行のソフトウェアをクラウド提供のSaaSなどに買い替える方法です。運用負荷を減らしたい場合に有効です。
- Refactor(リファクタ): アプリをクラウドネイティブに作りかえる最も手間のかかる手法ですが、性能や拡張性で大きな効果が出ます。
- Retire(リタイア): 使っていないシステムを廃止します。まず不要な資産を整理することで、移行の負担を軽くできます。
- Retain(リテイン): 当面現状のまま維持する判断です。移行の優先度が低い、または依存関係が強い場合に選ばれます。
選び方のポイント
各システムの重要度、コスト、移行リスク、将来の拡張性を比較して決めます。短期間で効果を出したいならRehostやReplatform、長期的な最適化が目的ならRefactorを検討します。RetireやRetainも有効な選択肢です。移行対象を分類して、複数の手法を組み合わせることが一般的です。
7つの移行手法の詳細
全体のグループ分け
7つのRは大きく3つに分かれます。
– クラウド移行しない手法:Retire、Retain
– クラウドリフト(そのまま移す):Relocate、Rehost
– クラウドシフト(変える/置き換える):Repurchase、Replatform、Refactor
各手法は目的やコスト、技術的制約で使い分けます。
Retire / Retain
- Retire:不要なシステムを停止します。例)使われなくなった社内ツールを廃止。
- Retain:現状を維持し、当面移行しません。例)レガシーで変更が難しい基幹系システム。
Relocate / Rehost
- Relocate:物理サーバーごと移すイメージです。移行コストを抑えつつ短期間で運用を継続できます。例)データセンターのVMをクラウドに移設。
- Rehost(リフト&シフト):アプリをほぼそのままクラウド環境へ移します。最小限の改修で移行可能です。
Repurchase / Replatform / Refactor
- Repurchase:SaaSなどへ買い替えます。例)自社開発の勤怠システムをSaaSで置き換え。
- Replatform:一部改修してクラウド用に最適化します。例)データベースをマネージドサービスへ切替。
- Refactor:設計を見直してクラウド特徴を活かす改修を行います。可用性やスケーラビリティを高めたい場合に選びます。
リロケート(Relocate)
概要
既存のサーバーやVMを構成のままAWS上へ移す手法です。主にVMware Cloud on AWSを使い、オンプレのvSphere環境をほぼそのままクラウドに持ち込みます。設定やOSを大きく変えずに移せるため、短期間で移行できます。
利点
- 変更を最小限にして短期間で移行できます。業務停止を短く抑えたい時に有効です。
- 既存の運用手順やツールを活かせます。管理者の負担を減らせます。
注意点
- ネットワーク設計(IPやルーティング、ファイアウォール)を見直す必要があります。Direct ConnectやVPNで接続を確保します。
- ストレージやパフォーマンス要件を事前に確認します。ストレージ方式やIOPSの違いで影響が出ることがあります。
- ライセンスやコスト構造が変わります。VMwareのサブスクリプションやAWSのホスト課金を確認してください。
移行の流れ(簡略)
- 現状のインベントリと依存関係を把握します。
- ネットワーク、ストレージ、セキュリティの設計を作ります。
- VMware HCXなどのツールでデータ同期やレプリケーションを行い、テスト移行を実施します。
- 本番切替の時間を決めて最終レプリケーション後に切替えます。問題時はロールバックプランを用意します。
実例
例えば基幹システムを週末に移すケースでは、事前にテストを行い短時間で切替えることで業務影響を最小化できます。運用手順をほぼ変えずに済むため、スタッフの習熟コストも抑えられます。
運用後のポイント
移行後は監視やセキュリティ設定を見直し、コスト監視を続けてください。必要に応じて段階的に最適化(リプラットフォームやリファクタ)を検討します。
リホスト(Rehost)
概要
リホスト(Rehost)は、現行のアーキテクチャをほぼ変更せずにクラウドへ移す手法です。オンプレミスのサーバーや仮想マシンを、そのままクラウドの仮想マシンに移す「リフト&シフト」とも呼ばれます。短期間で移行を終えたい場合や、システムの改修リスクを避けたい時に使います。
メリット
- 移行が速い:大きな設計変更が不要で、作業を短縮できます。
- リスクが低い:既存の動作保証が残りやすく、運用の継続が容易です。
- コスト予測が立てやすい:当面は構成を変えないため初期費用が明確です。
デメリット
- 長期的なコスト増:クラウドの恩恵(マネージドサービスの効率化)を活かしにくいです。
- 最適化の機会損失:自動化やスケーリング設計を後回しにすると運用負荷が残ります。
適したケース
- 期限が厳しい移行プロジェクト
- 大量のサーバーを短期間で移したい場合
- 既存アプリの改修にリスクを取りたくない場合
基本的な移行手順(簡潔)
1) 現行の資産(サーバー、ネットワーク、ストレージ)を棚卸しします。
2) 移行対象を優先順位付けします(重要度、依存関係で決める)。
3) 同等のクラウドリソース(仮想マシン、ボリューム)を用意します。
4) データ同期やイメージ転送でアプリを移動します。
5) 動作確認と性能チェックを行い、問題がなければ切り替えます。
6) 旧環境は一定期間保管し、問題なければ削除します。
注意点とベストプラクティス
- 移行前に依存関係を正確に把握してください。
- セキュリティ設定は移行後すぐに適用します。
- モニタリングを早めに導入し、性能やコストを観測してください。
- 将来の最適化(リプラットフォームやリファクタ)を見据えた設計にしておくと有利です。
具体例
例:オンプレのWebサーバー群をAWSの仮想マシン(EC2)に移す。構成はほぼ同じで、DNSとロードバランサーを切り替えて稼働させます。データベースも仮想マシンで運用する場合は同様に移行しますが、将来的にマネージドDBへ移す計画を立てておくと安心です。
リプラットフォーム(Replatform)
概要
マネージドサービスを使ってプラットフォーム部分だけをクラウドに移す手法です。アプリケーションの大きな変更は行わず、データベースをAmazon RDSに移行したり、運用を簡素化するためにマネージドキャッシュやロードバランサーを導入したりします。既存資産を活かしつつ運用負荷を下げたい場合に向いています。
いつ使うか
- 大きな設計変更を避けたいとき
- 早く安定した運用に移行したいとき
- 一部のコンポーネントだけをクラウド最適化したいとき
利点
- 運用負荷を短期間で軽減できます
- 手を加える範囲が限定的なので移行コストが比較的低いです
- マネージドの仕組みで可用性やバックアップが容易になります
実施手順(簡易)
- 対象のコンポーネントを特定する(例:DB、キャッシュ)
- マネージドサービスを選定して互換性を確認する
- 設定や接続情報を調整して移行テストを行う
- 切り替えと運用監視の強化を行う
注意点
- マネージドの挙動や制約により微調整が必要です
- コスト構造が変わるため試算を忘れないでください
- パフォーマンスや接続設定で問題が出ることがあるため、十分に確認してください
具体例
- オンプレのMySQLをAmazon RDSへ移行して運用負荷を削減する
- 自前のキャッシュをマネージドキャッシュに切り替えて運用を簡素化する
必要に応じて、より具体的なチェックリストや移行手順をお作りします。
リパーチェス(Repurchase)
概要
SaaS製品へ切り替える手法です。AWSのマネージドサービスやサードパーティのSaaSを利用し、既存のソフトウェアや運用を買い替えます。自社での保守を減らし、運用負荷やインフラ管理を簡素化できます。
何を移行するか(具体例)
- メール:オンプレExchange → Microsoft 365
- ファイル:ファイルサーバ → Google Drive / Dropbox / Box
- 業務アプリ:自社開発のCRM → Salesforce
設定情報やユーザー、アクセス権、履歴データも移行対象になります。
選定時のポイント
- ライセンス費用とトータルコストを比較する
- サポート体制とSLA(稼働保証)を確認する
- データ保持ポリシーや法令遵守(コンプライアンス)を確認する
- 他システムとの連携方法(APIの有無)を確認する
移行手順の流れ
- 現状評価と移行要件の定義
- 候補SaaSの比較・選定
- パイロット環境で検証(データ量・性能・互換性)
- 本番データの移行と検証
- 切り替えと運用開始、利用者教育
注意点とベストプラクティス
- バックアップとロールバック計画を必ず用意する
- データのエクスポート/インポート方法を事前に確認する
- ベンダーロックインを想定し、出口戦略を準備する
- 小さな範囲でまず移行して問題点を洗い出すと安全です。
リファクタ(Refactor)
概要
既存アプリケーションをクラウドネイティブに作り直す手法です。マイクロサービス化、コンテナ化、サーバーレス化などを導入して可用性や拡張性を高めます。単に移すだけでなく再設計を伴うため工数とコストが大きくなります。
いつ選ぶか
- 現行システムが拡張や保守で限界に達している時
- 新機能の迅速なリリースがビジネス上重要な時
- 長期的に運用コストを下げたい時
利点
- スケールや可用性を高められます
- 開発の独立性が増し、リリース頻度を上げやすくなります
- 運用自動化が進み、障害対応が速くなります
注意点(課題)
- 再設計と実装に時間と費用がかかります
- 技術的な知見やテスト/品質管理が必要です
- データ移行や互換性の問題が発生しやすいです
実施手順(例)
- 現状評価:依存関係・データ・性能を把握します
- 小さな領域でPoCを作成します(ストラングラーパターン推奨)
- 機能を分割して段階的に移行します
- CI/CD・監視・ロギングを整備します
- 運用に移し、指標で効果を評価します
成功の指標
- デプロイ頻度、平均復旧時間(MTTR)、レスポンスタイム、運用コスト
具体例
- モノリシックな注文処理を注文サービス・在庫サービスに分割
- バッチ処理をサーバーレス関数に置き換えコスト削減
判断用チェックリスト
- 長期的なビジネス価値が見込めるか
- 技術・チームの準備は整っているか
- 小さな段階で検証できるか
再設計は効果が大きい反面、リスクも伴います。段階的に進めて早めに学習と検証を繰り返すことが重要です。
リタイア(Retire)
概要
役目を終えたシステムや、ほとんど使われていない機能を停止・廃止する手法です。移行作業を行わずに対象を除外することで、ライセンス費用や運用負荷を減らせます。企業合併やサービス終了、機能の陳腐化が理由で選ばれます。
判断基準
- 利用状況:使用頻度や依存度が低い
- コスト:維持費やライセンスが割に合わない
- リスク:セキュリティやコンプライアンス上の負担が大きい
- ビジネス価値:今後の成長や戦略に寄与しない
これらが満たされれば廃止を検討します。
実施手順
- 対象の特定と影響範囲の評価(依存関係を洗い出す)
- ステークホルダーへの通知と合意形成
- データの保全・移行(必要な履歴や顧客データを保存)
- 段階的停止とモニタリング(影響が出ないか確かめる)
- 完全削除と利用停止後の監査
注意点
- 法的・契約上の保管義務を確認してください。
- バックアップを確実に取り、復旧手順を用意してください。
- 利用者や運用チームへの周知を丁寧に行ってください。
具体例
- 廃止予定の旧システムをサーバーごと停止する
- ほとんど使われない機能をUIから削除する
これにより不要な運用作業やコストを減らせます。
期待される効果
運用コスト削減、セキュリティリスクの低減、管理対象の簡素化が見込めます。無駄を排し、重要な資源に集中できます。
リテイン(Retain)
概要
オンプレミスに残すべきシステムを移行せず、そのまま保持する手法です。規制やレガシー機器の依存、短期的なコスト制約などでクラウド移行が難しい場合に選びます。ハイブリッド構成でクラウドと連携しつつ、現状を維持します。
こんなときに選ぶ
- 法令や契約でデータを国内設備に置く必要がある
- 専用ハードウェアに依存している
- 移行コストが利益に見合わない短期プロジェクト
実践ポイント
- セキュアな接続を確保する(VPNや専用回線の活用)
- 監視・バックアップを強化して可用性を保つ
- 定期的に再評価し、移行可能になれば計画する
注意点
オンプレミスのまま放置すると保守負担や技術的負債が増えます。運用コストを見える化し、将来的な移行の判断基準を明確にしてください。
具体例
重要な顧客データを法規でオンプレミス保存するシステムや、専用制御装置と連携する工場の制御サーバーなどが該当します。
移行プロセス
プロセス概要
クラウド移行は段階を踏んで進めます。準備→分析→プロトタイプ→実行→運用移行の順です。各段階で検証と調整を繰り返し、安全に本番移行します。
分析フェーズ
現行システムの構成、データベース、OS、ミドルウェア、依存関係を洗い出します。例:Windows ServerからLinuxへ移すときは互換性やライブラリ差分を確認します。コストや性能の要件もここで明確にします。
プロトタイプ(PoC)
代表的な機能や負荷の高い部分を小さく移して検証します。性能試験、互換性テスト、バックアップとリストアの確認を行います。たとえばDBクエリの応答時間や接続数を実測します。
実行フェーズ
移行手順を文書化し、切替手順とロールバック計画を用意します。切替方式は一括(Big Bang)、段階的、カナリーデプロイなどから選びます。ダウンタイム削減のためにテストとリハーサルを行います。
運用移行と最適化
本番に移した後は監視、ログ、コストの確認を続けます。性能や設定を調整して安定運用に移します。またセキュリティ設定やバックアップも定期的に見直します。
各手法の使い分けと選択基準
説明の前提
まず、目的(移行の速度、コスト削減、運用負荷の軽減、将来の拡張性など)と制約(期限、予算、人員、規制)を明確にします。これが判断の軸になります。
主な選択基準
- 時間(短期/中長期):期限が迫るならリロケートやリホストを優先します。例:数週間でデータセンター退去が必要なケース。
- リスクと安定性:既存挙動を変えたくないときはリホスト。動作保証が重要な基幹システムに向きます。
- 運用負荷とコスト:運用を楽にしたいならリプラットフォーム。ミドルウェアのマネージド化で人手を減らせます。
- 競争力と革新性:クラウドの設計を活かしたいならリファクタ。自動スケールや新サービス利用で価値を高めます。
- 代替製品の有効性:既存ライセンスや商用ソフトを置き換えられるならリパーチェス(SaaS等)を検討します。
- 依存関係と利用頻度:不要なアプリはリタイア、重要だがすぐ移せないものはリテイン(保留)します。
具体的な組合せ例
- 納期が短く影響が小さい業務システム:リホスト。移行後に段階的に改善します。
- コア業務でクラウドの利点を最大化したい:リファクタ。時間はかかりますが長期的に有利です。
- CRMやコラボツールなど:リパーチェスでSaaS移行すると早く運用負荷を下げられます。
判断の流れ(簡潔)
1) 全資産の棚卸しと重要度評価
2) 各アプリに対して上記基準を当てはめ分類(短期/改善/廃止/保留)
3) 優先度に応じてパイロット移行を実施し、効果とリスクを確認
4) フェーズ分けして本格移行
この流れで、技術的要件とビジネス要件を両立しながら最適な手法を選んでください。












