はじめに
本記事の目的
本記事は、Webの誕生と発展を分かりやすく時系列でたどることを目的としています。専門的な用語は最小限にとどめ、具体例や背景を交えて丁寧に解説します。特にティム・バーナーズ=リー博士の発明と、CERNによるパブリック・ドメイン宣言がもたらした影響に重点を置きます。
本記事で扱う範囲
第2章から第9章まで、以下の流れで説明します。
– インターネットの起源(ARPANET)
– World Wide Webの発明と初期の仕組み
– 最初期のブラウザや技術(HTML、HTTP、ハイパーリンク)
– ブラウザの普及と標準化(Mosaic、W3C)
– CERNの決断とその後の影響
各章は独立して読めるよう構成しているため、興味のある章からお読みいただけます。
読者へのお願い
本記事は歴史的な流れの理解を優先しています。細かな技術仕様や最新の話題は扱いませんので、技術の詳しい参照が必要な場合は専門書や公式ドキュメントをご覧ください。どうぞ気軽に読み進めてください。
インターネットの起源 – ARPANET(1969年)
発端
インターネットの元となるARPANETは、1969年にアメリカ国防総省高等研究計画局(ARPA)が立ち上げました。狙いは、攻撃や障害が発生しても通信が続けられる耐障害性の高い情報網を作ることでした。
設計と技術の要点
ARPANETは「パケット交換」という仕組みを採用しました。長いメッセージを小さな断片(パケット)に分け、経路ごとに送る方式です。封筒を何通かに分けて送るイメージで、途中で一部が届かなくても再送できます。中継機(IMP)を使って、各拠点を結びました。
初期の接続と利用
最初はUCLA、SRI、UCSB、ユタ大学などの研究機関が接続され、研究者同士がファイルやメッセージをやり取りしました。軍事目的から始まりましたが、すぐに大学や研究機関での共同研究に役立ちました。
発展とNSFnetへの移行
1986年に全米科学財団(NSF)がネットワークを引き継ぎ、NSFnetとして再構築しました。これにより学術・研究用途での利用が広がり、現在のインターネットへとつながる基盤が整いました。
なぜ重要か
ARPANETは、分散して動く通信の考え方を実証しました。今のインターネットはここから始まり、多様な機器や人々を結ぶ土台となりました。
World Wide Webの誕生(1989-1991年)
発案(1989年)
1989年、スイスのCERNで働いていたティム・バーナーズ=リー博士が、情報を簡単に共有する仕組みを考え始めました。研究者同士が文書やデータをやり取りするための方法を、より使いやすくすることが目的でした。
提案書(1990年11月12日)
1990年11月12日に博士はWebの提案書をまとめました。この文書には、誰でも使える「ブラウザ」「サーバー」「クライアント」という役割分担の基本構想が書かれています。ブラウザは文書を表示するソフト、サーバーは文書を保存して配る機械、クライアントは利用者側の機器というイメージです。
最初のWebサイトとページ(1990年12月〜1991年8月)
1990年12月20日に最初のWebサイト「info.cern.ch」が公開され、Webの使い方やフォーマットが説明されました。1991年8月6日には世界で最初の公開Webページが登場し、一般に向けてWebの存在が示されました。
Webの特徴と意義
Webは既存のインターネットを使い、簡単な方法で文書をつなげることを目指しました。ハイパーリンクで関連情報に飛べる点や、誰でもページを作成できる点が特に重要でした。これにより情報の共有が飛躍的に広がる基盤が生まれました。
HTML、HTTP、ハイパーリンクの確立
概要
この章では、Webを形作る基本的な約束事がどのように整ったかを説明します。HTML(HyperText Markup Language)、HTTP(Hypertext Transfer Protocol)、そしてハイパーリンクという三つが揃うことで、今のWebの基礎ができます。
HTMLとは
HTMLは文書の構造を決めるためのルールです。見出し、段落、リンク、画像などを指定するためにタグという簡単な記号を使います。たとえば、段落は
…
、見出しは
…
で表します。専門用語は少なく、直感的に文書を組み立てられる点が特徴です。
HTTPとは
HTTPはブラウザとサーバーが会話するための取り決めです。ブラウザが「このページをください」とリクエストを送り、サーバーが内容を返信します。例えると、レストランで客が注文し、厨房が料理を出す流れに似ています。これにより遠くのサーバーから簡単に情報を受け取れるようになります。
ハイパーリンクの役割
ハイパーリンクは文書同士をつなぐ仕組みです。リンクをクリックすると別のページや画像にジャンプできます。リンクはURL(住所のようなもの)を指し示し、情報を網の目のようにつなげます。
具体例と影響
簡単なHTMLとHTTPの組み合わせで、誰でも自分の文書を他人に見せられます。結果として、情報の共有が飛躍的に楽になり、Webは急速に広がりました。次章では初期のブラウザについて見ていきます。
最初期のブラウザ – WorldWideWeb(Nexus)
誕生の背景
1989年、ティム・バーナーズ=リーが情報を共有しやすくするために考え出しました。1990年から1991年にかけて、彼は自らブラウザを作り、最初のWebページを開きました。これが「WorldWideWeb」です。
主な特徴
- テキスト中心でリンクをたどる仕組みを持ちます。
- 画像表示はできませんでしたが、文書間を視覚的に行き来できる初めての道具でした。
- 編集と閲覧の両方に対応しており、利用者がページを直接作成・修正できました。
使い方のイメージ
ブラウザは紙の目次のように動作します。見出しやリンクをクリックすると別の文書に移動します。実際には今のブラウザよりずっと素朴で、文字だけで構成された画面を矢印やキーボードで操作しました。
当時の限界と意義
当時は回線速度や表示技術が限られていたため、画像や複雑なレイアウトは使えませんでした。しかし、このシンプルさがWebの基本構造を示し、誰でも情報をつなげられる考え方を広めました。Nexusは現代のブラウザの原点として重要です。
Webの急速な普及 – Mosaic(モザイク)ブラウザの登場(1993年)
背景
1990年代初頭、Webは研究者や技術者の間で徐々に広がっていました。しかし、一般の人々には使いにくい状態が続いていました。表示が文字中心で、画像や操作性に乏しかったためです。
Mosaicの登場
1993年、米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)が公開したMosaicは、画像をページ内に表示でき、メニューやボタンで操作できる初めての使いやすいブラウザでした。インストールも比較的簡単で、視覚的に情報を見せる工夫が多く含まれていました。
普及の加速
Mosaicは教育機関や企業、個人ユーザーに短期間で受け入れられました。使いやすさが敷居を下げ、コンテンツ作成の動機を高めました。結果として、Webサイトの数が急増し、利用者層が研究者から一般へと広がりました。
社会的影響と技術的波及
Mosaicは後のブラウザ開発に多大な影響を与えました。直感的なインターフェースや画像表示は標準となり、商用ブラウザや企業サービスの登場を促しました。これにより、インターネットが日常生活やビジネスに深く入り込む基盤が築かれたのです。
具体例
大学が講義資料を公開したり、企業が製品情報を掲載したりする動きが始まりました。ユーザーはリンクをたどって情報を得る習慣を身につけ、Webは情報探索の主要手段へと変わっていきました。
Web技術の標準化 – W3Cの設立(1994年)
背景
Webの利用が広がるにつれて、同じページがブラウザごとに違って表示される問題が目立ちました。企業や研究機関が独自機能を加えることで互換性が失われ、利用者が困る場面が増えました。こうした混乱を解消する必要が高まりました。
W3Cの目的と活動
1994年、ティム・バーナーズ=リーを中心にW3C(World Wide Web Consortium)が設立されました。目的は、Webの基本技術に共通のルールを定めることです。W3Cは各社と協力して仕様案を作り、公開レビューを経て標準を制定します。これにより開発者は安心して技術を使えます。
主な標準化成果
- HTML: ページの構造を統一する言語です。互換性を高め、他のブラウザでも同じ構造で表示できます。
- CSS: 見た目の指定を分ける仕組みで、デザインの再利用が簡単になります。
- XML: データ交換を簡潔に行えるようにして、異なるシステム間のやり取りを助けます。
- HTTP関連: データのやり取りのルールを洗練しました。
設立の意義
W3Cの標準化はWebを安定して成長させました。開発者や企業は共通の土台を使い、新しいサービスを作りやすくなりました。結果として利用者はより便利で信頼できるWebを享受できるようになりました。
CERNによるパブリック・ドメイン宣言(1993年)
背景
ティム・バーナーズ=リーがCERNでWorld Wide Webを提案した後、当初は研究者向けの内部技術でした。普及へ向けて、誰でも使える仕組みが必要になっていました。
宣言の中身
1993年4月30日、CERNはWebの基本技術をパブリック・ドメイン(公有資産)とすると発表しました。つまり、HTMLやURL、HTTPなどの仕様を無償で利用・実装できるようにしたのです。
なぜ重要か
この決断は「誰でも自由に使える土台」を作りました。例えると、人気のレシピを無料で公開して、誰もがその味を再現して改良できるようにしたようなものです。企業や大学がライセンス料を心配せずに参入できたため、イノベーションが加速しました。
直後の影響
宣言により、多くの研究機関や企業がブラウザやサーバーの開発に取り組みました。利用者とサイトが急速に増え、Webは短期間で世界中に広がりました。
長期的な影響
Webは単なる技術ではなく、人類共通の財産として根付きました。コア技術が自由であったことで、多様なサービスやビジネスが生まれ、インターネットの発展を支える基盤となりました。しかし、その自由性が新たな課題(セキュリティやプライバシー)を生むことも明らかになりました。
CERNの決断がもたらした影響
情報アクセスの民主化
CERNがWebを公有資産化したことで、誰もが自由に情報を公開し、利用できる基盤が生まれました。研究者が論文やデータを共有するだけでなく、地域の小さな図書館や個人が情報を発信できるようになりました。たとえば、地域のイベント情報をすぐに世界に向けて発信できるようになった点は身近な変化です。
ビジネスモデルの革新
無料で使える基盤は新しいサービスを生みました。企業はインフラを一から作らずに商品やサービスを提供できるようになり、オンラインショップや地図サービス、予約システムなどが普及しました。小さな事業者も低コストで全国や海外へ販路を広げられます。
コミュニケーションの変革
メールや掲示板、後のSNSへつながる自由な場が広がり、人々の交流が速く、広くなりました。家族や友人との連絡、遠隔の会議、教育の場での情報共有など、日常のやり取りが大きく変わりました。
第三次産業革命の基盤化
情報の流通が容易になったことで、サービス産業が急速に発展しました。データを使った新しい仕事や働き方が生まれ、社会の仕組み自体が変わっていきました。こうした変化が「第三次産業革命」の土台となりました。
info.cern.chの復刻(2013年)
CERNは20周年を記念して当時のページを復刻公開しました。初期のWebの素朴な姿を見ることで、今の便利さがどのように積み重なってきたかを実感できます。過去を振り返ることで未来の使い方も考えやすくなります。












